今日はちょっとキレます。

文章は丁寧に書きなさい、と言う話。
仕事の仕様書作成ガイドラインにこんなのがありました。

「文末は”である”調。もしくは体言止めとする」

(‘A`)

である調は問題ない。それはいい、でも体言止めってどういうこと?
仕様の説明を名詞で止めるのか?

極端に言えば

 『これは、申請者が承認者に対して送信する申請書である。』

なら体言止め表現はこうかな?

 『これは、申請者から承認者に対して送信する申請書。』

この例だとまだ構文として単純だし、体言止め前の表現を出してしまっているので、
なんとなく意味が通ってしまうかもしれない。
ところが、こういう体言止め表現の文が突然出現したり、もう少し複雑な構造の
文章で使われると、何を言わんとするのかの意味の把握が難しくなります。
「である」か「ではない」か、どちらとも取れますし、
申請者が承認者へ送信する申請書だというのはわかるが、その後に何かあるのか?
と、勘ぐりたくなる文です。

もっと乱暴な人だとこう書くかも。体言止め+動詞の省略。
 『これは、申請者から承認者に対しての申請書。』
ここまでやると多分正確に意図を読み取るのはかなり難しいはずです。
でも、このレベルの文は気をつけていても結構書いてしまいます。自分も。
これくらいの表現で、プログラムの実行条件なんかを箇条書きにされた日には、
どうなるかわかりません。

ともかく、取扱説明書や論文などを書く際には体言止めは使わないのが普通ですが、
これは読み手の恣意的な解釈の混入を避けるためです。
同じことがソフトウェアの仕様書にも言えると思います。
ミスリードを誘発しかねない文章は、仕様書として書くべきではありません。

このガイドラインを書いた人は木下是雄を読んでない(笑)か、作家か、
どこかのどうでもいい技術系サイトのガイドラインを持ってきたか、
そんなところではないでしょうかね。少し考えればわかることでしょうに。

勤め人の頃、体言止めメールを仕事で書く上司と喧嘩しまくってた
記憶がよみがえってきたYO!
#当人は行間を読ませる訓練とか言ってましたが、それはレベルが違います(笑)

参考リンク: 体言止めは投げやりの証拠